Brian Pillman : Loose Cannon (Disc-1)
 (DVD)
 収録時間:約1時間33分
 ※特典映像の合計収録時間は不明
 『Loose Cannon : 鎖を解かれた砲弾』『Ticking Time Bomb : 時を刻
む時限爆弾』...。これらは1997年10月5日、僅か35歳の若さで余
りに呆気なくあの世へと打ち上げられてしまったブライアン・ピルマン(本
名ブライアン・ウィリアム・ピルマン)に冠せられていたコピーなんです。
けど、少なくとも我が日本国内では極々一部の“スマート”諸氏以外、何
故ピルマンがその様に呼ばれていたのかの“本質”を知る者って居なか
ったんやないかと思います。当然このワシかてそう。で、アメ・プロっても
のの表層だけを辛うじて追っていた(←その是非については、ここでは
割愛いたします)ワシら“マーク”さんに、もっともっと深遠なる愉悦もあ
るんやデ、って教えてくれたのが、1997年12月に刊行された田中正
志氏著の『開戦プロレス・シュート宣言』って本。ここではWCW⇒ECW
⇒WWF(当時)と短期間で複数団体を渡り歩き、どの団体においても
常に騒動の渦中に居た(←これって、レスラーにとってはある意味最上
級の褒め言葉やないかな)ピルマンを知る事で、アメ・プロってジャンル
のアナザー・サイドの楽しみ方を貴方も試してみまへんか、なんて粋な
編集が施されていて、これでワシみたいにドップリとアメ・プロにハマッた
方も居られるのではないかと考えます。ただ悲しむべきは、せっかくこん
な本が手元にあるのに、それを映像で追って確認する事がままならなか
ったって点。けど『開戦プロレス・シュート宣言』が刊行されて丸々10年。
この間にWCWもECWも崩壊し、少なくともメジャーと呼ばれるフィール
ドはWWE(当時はWWF)が独占。これにより、各団体が個別に所有し
ていた映像ソフトもWWEがその大半を取得し、合わせて都合の良い事
に長時間の映像を録画記録するDVDってメディアが出来た事もあって、
1人のレスラーや1つの事象について、かつて複数団体が所有していた
の各種の映像を、“通し”で編集する事(編集権を持つWWEによる、偏
向編集って悪しき側面も見逃せんのですが...)も可能となりました。
それと見逃せないのが、プロレス業界における“情報公開”の大きな流
れ。今やプロレスって芸を、“勝ち負け”や“八百ガチ”でのみ語る人なん
て絶え果てたはず。そう、ピルマンの死から10年経って、やっと我が日
本国でも、ピルマンが21世紀のアメ・プロってジャンルに与えた多大な
る影響ってのを、皆で語り合える環境が醸造されましたんや。そして、そ
んな時、米国でジャストのタイミングで発売されたのが、ブライアン・ピル
マンの個人ものDVD!。よっしゃ、これで目出度く、約10年間に渡りワ
シの喉に刺さっていた“魚の小骨”が取れるはずや.......。 

【ボヤキとお詫びとお願いと】
 アメ・プロの映像を観る中で、どうしてもワシには超えがたい“壁”って
のが英語のヒアリング。けど、最近はレスラーの個人もののDVDも僅か
のタイム・ラグで和訳が入った日本版が発売されており、アメ・プロ業界
に与えた影響の大きさから、絶対にこのブライアン・ピルマンのものは日
本版が出ると思っておりました。それなのに、あぁそれなのに...。
どうやら本作ピルマンのものだけは、あっさりと“パス”されてしもたみた
いやワ。やっぱりピルマンでは“引き”が弱いのやろか。上にアメ・プロを
語る環境が醸造された、なんて書いたけど、それってワシの勝手な妄想
でしかなかったのやろか。いやいや、ピルマン周辺の出来事を和訳して
日本国内で発売すると、たたでさえ“死に体”の日本の各団体(ユークス
さんて、今でも新日本プロの株を持っているの?)に止めをさしてしまう、
なんて心配があったのかも。いずれにしても、何時まで待っていても日
本版が出そうにないので、覚悟を決めて米国版DVDを入手。ワシのつ
たないヒアリング能力と、我が家に眠る各種の資料、ネット上での情報、
そして『開戦プロレス・シュート宣言』を頼りに、討ち死にするのもままよ
と、本DVDのレビューに取り掛かってみたいと思います。あ、“スマート”
諸氏の皆様方、ワシの誤解及び理解不足をネットの奥底で笑われるん
やなくって、どしどしと間違っている点や突っ込みの浅い点はご指導下
さいや。ホンマ、よろしくお願いいたしまっせ!!。 

★★DISC-1★★

○A Troubled Beginning
  『揉め事の始まり』とは故人に対しても遺族に対しても失礼極まりな
 いタイトルですが、とりあえずピルマンの姉妹が語る、ピルマンの幼少
 時代。どうやらピルマンは生まれ付き喉に深刻な問題(先天性の咽頭
 癌?)があった様で、何度も大きな手術を受けたみたいですワ。
○Football Career
  学生時代から始めたフット・ボール、遂にNFLのシンシナティ・ベンガ
 ルズに属する事に...。ロード・ウォリーズのアニマルやJRが当時を
 振り返っております。またNFLからCFL(カナディアン・フットボール・リ
 ーグ)に都落ちし、ここで右足首を負傷してフット・ボールを断念。でも
 その代わりに、ハート一家との運命的な出会いを果たしたそうです。
○Calgary Stampede Wrestling
  フット・ボールでは目が出なかった(?)ピルマン、プロ・レスラーを目
 指してカルガリーの名門スタンピード・レスリングの門を叩きます。皆さ
 んもご存知でしょ、名伯楽ステュ・ハートと彼の一族が切り盛りする伝
 説のプロモーションですワ。ここでダイナマイト・キッドや、(初代)タイガ
 ー・マスクに影響を受けた“Flyin”芸で頭角を現したピルマンは、アトラ
 ンタのWCWへと移籍いたします。
○Flyin' Brian
  WCWでも“Flyin”芸で活躍したピルマン、当時同じ釜の飯を食った
 多数のレスラーが当時を振り返っております。また、90年2月12日に
 はトム・ジンクとタッグを組み、ファビュラス・フリーバーズを下して当時
 空位となっていたNWA認定のUSタッグ王座に就きました。ただしト
 ム・ジンクとのコンビは長くは続かず、ピルマンはシングル・プレイヤー
 を目指す事に...。
○Light-Heavyweight Championship
  シングル・プレイヤーに転向したピルマン、ライト・ヘビー級の王座に
 就く事に。また新日本プロの獣神サンダー・ライガーとの抗争も。
○Marriage
  私生活ではメラニーさんと93年3月17日に目出度く結婚。子宝にも
 恵まれ、我が世の春を謳歌しておりました。あ、このメラニーさんは男
 性誌『ペントハウス』でモデルもしていたそうです。加えて沢山の子供
 達に囲まれているピルマンとメラニーさんですが、メラニーさんの連れ
 子が2人、ピルマンが以前“複数の女友達”を孕ませて作った子供が
 これまた2人、両者の間に生まれた子供がこれまた2人って複雑な家
 庭であったみたい。それとピルマンの子を産んだかつての女友達が、
 ピストル自殺を遂げたって事実もあったそう。(注)ここらは当時の週プ
 ロ誌に掲載されていたフミ・サイトー氏のコラムから引用いたしました。
○Hollywood Blondes
  “Stunning”時代のオースチンとハリウッド・ブロンズなるユニットを結
 成。映画撮影の際に使用する“カチンコ”をギミックに、リッキー・スティ
 ムボート&シェーン・ダグラスのコンビと抗争。そして彼等を破り、93
 年3月2日、ハリウッド・ブロンズはWCW認定のタッグ王座へ着任。
 また『Flair For The Gold』って名付けられた、リック・フレアーとアーン
 ・アンダーソンが仕切るインタビュー・コーナーのゲストにもオースチン
 と2人してお呼ばれされましたデ。
○Four Horsemen
  順調にWCW内でキャリアを重ねるピルマン、遂にリック・フレアーの
 組織する『Four Horsemen : 四人の騎士達』のメンバーに抜擢や!。
○Loose Cannon
  しかしどうにもトラブルが好物であるピルマン、WCWのブッカー職に
 就いているケヴィン・サリバン(当時はタスク・マスター)と揉めてしまい
 ます。で、96年2月11日の『Superbrawl』ではサリバン相手に、革紐
 着用による『貴方を尊敬いたします』戦を敢行。これ、試合に負けた方
 が勝った方に対して「ごめんなさい、貴方を尊敬いたします」って言わ
 ないといけないって屈辱のルールなんやけど、僅かの時間でサリバン
 のガチンコの右ストレートを顎にモロに喰らったピルマン、動転するレフ
 ェリーから無理やりマイクを奪い、「アンタを尊敬するデ、ブッカー殿!」
 と、“業界の裏側”を白日の下に晒す禁断の一言を口にしてしまいまし
 た。まァ、ピルマンにしてみれば『Loose Cannon : 鎖を解かれた砲弾』
 の面目躍如ってところなんでしょうが、事後処理にあたったアーン・ア
 ンダーソン(当然コメントを寄せております)は、さぞや困ったでしょうな
 ァ...。尚、田中正志氏著の『開戦プロレス・シュート宣言』には、ここ
 らの内幕が非常に詳しく載っているので、興味のある方は是非本を探
 して読んでみて下さいな。
○ECW
  WCWを飛び出したピルマン、すぐさま2月17日開催のECWの定期
 興行『Cyberslam 1996』に出現。プロレス・オタク達の巣窟とも言えるE
 CWアリーナでWCWとのトラブルをネタにわめき散らし、あっと言う間
 にカルト・ヒーローの座を獲得や。尚、前述した『開戦プロレス・シュート
 宣言』や本DVDに収録されているエリック・ビショフのコメントによると、
 サリバンとのトラブルは綿密に練り上げられたネタで、ECWマットから
 WCW(=ビショフ)批判をさせ、半年ほどでWCWに呼び戻して、再度
 サリバンとの抗争をさせるつもりであったそう。
 【追記】ECWの定期放送番組で放映された『ピルマンvs.巨大鉛筆』
 周辺について、もっと根掘り葉掘りと掘り下げて欲しかったなァ...。
○Car Accident
  ECWでカルト・ヒーローとなったピルマン、今度は実生活で車を運転
 していて瀕死の大事故を起こしてしまいます。96年4月15日、ケンタ
 ッキーでの出来事らしいですな。あ、6月1日のECWの定期興行『Fig
 ht The Power』では車椅子姿で現れたピルマン、RVDとマイキー・ウ
 イップレックの試合に介入し、マイキーを松葉杖でシバキ倒してまっせ。
○WWE
  WCWに戻るはずやったピルマンなんですが、WWF(当時)がピル
 マンのカルト人気に目を付け、ちゃっかりとピルマンを獲得。6月17日
 の調印式ではやけに感傷的(←これもネタやないの、なんて思わせる
 のがこの人の売りであり、かつ不幸でもあるんやろね)なピルマンの姿
 が確認可能です。あ、まだ車の事故で足に受けたダメージが治ってい
 ないピルマンですが、売り物の口だけは全快(全開!)。またWWFに
 は、かつてのハリウッド・ブロンズの僚友オーチスンも居り、ピルマンは
 オースチンに即刻仕掛けて、遺恨劇が華々しく幕開けとなりましたデ。
○Infamous Gun Incident
  WWF(当時)の定期放送番組『Monday Night Raw』内で、オハイオ
 州にあるピルマンの自宅(←本物やそうです)をオースチンが襲撃!。
 車椅子状態のピルマンは我が身と嫁さんを守らんと、いきなり懐から
 拳銃を取り出してオースチンに狙いを...。ま、これらも勿論ネタでは
 あるのやけど、それでも子供達も見ている超人気番組内で拳銃が振り
 回されるのはいかがなものかと、一般メディアからもWWFは袋叩き
 されたそうです。しかしこんなスケッチを見ると、今のWWEはホンマに
 ヌルい番組となってしったと痛感させられますなァ...。
○Hart Foundation
  怪我も癒えたピルマン、ブレット・ハートらが組織するハート・ファウン
 デーションのメンバーに。
○Announcer
  それでもやっぱりピルマンの喋りは魅力。JRの横に座り、アナウンス
 業を勤めた事も。ピルマン、お客に手を出して大暴れでメチャクチャや。
○Hiding the Pain
  元々軽量級の体躯しかないピルマン、大型選手揃いのメジャー団体
 では身体に受けるダメージも相当なものであったはず。当然各種の鎮
 痛剤や、怪しい錠剤を常用する事に...。
○Goldust / Marlena
  ゴールダストとメリーナ(後のテリー、ゴールダストの奥さんに)のペ
 アと抗争を開始したピルマン。97年9月7日のPPV『Ground Zero』で
 はズル勝ちでゴールダストを下し、メリーナを30日間の“性の奴隷”
 する事に。調子に乗ったピルマン、『Pillman's XXX Files』と称したハメ
 撮りビデオもどきの映像を全国ネットでオン・エアー...(苦笑)。
○チャプター・タイトルなし
  ゴールダスト&メリーナとの“後日談”も当然用意されていたであろう
 に、97年10月5日、ミネアポリスのホテルの一室でピルマンは冷たく
 なってしまいました...。享年35歳、『Loose Cannon : 鎖を解かれた
 砲弾』の呆気ない最期ですワ。ちなみにこの訃報を伝えたのは、事故
 当日PPV『In Your House XVIII : Badd Blood』を放映していたWWF(
 当時)。ヴィンス直々のアナウンスで全国周知されました。またピルマ
 ン没の翌日のWWF(当時)の定期放送番組『Raw Is War』では冒頭
 に追悼の10カウントが行われ、奥さんのメラニーさんも衛星回線を使
 って緊急出演。けど、ヴィンスからの遠慮の欠片もない質問の数々に
 は、さすがのワシでもムカついてしまいました。
○チャプター・タイトルなし
  ご遺族や関係者のコメントも含めて、ブライアン・ピルマンの余りに短
 過ぎた人生を4分間強の時間で総括...。そう、僅か4分強で。誰に
 対してなのか分からんけど、クソッ垂れとしか言い様がおまへんな。

【特典映像】

○Road Warrior Animal : Rental car
  レンタカーをピルマンによってブッ壊された事を、アニマル・ウォリアー
 が懐かしく述懐。
○Stone Cold : First Meeting
  初めて会った時の印象をオースチンが述懐。 
○Stone Cold : How to Remember Brian
  悪友同士、オースチンがピルマンの思い出を回想。 
○Eric Bischoff : Pillman Living the Character
  エリック・ビショフのコメント。『Loose Cannon : 鎖を解かれた砲弾』っ
 てキャラクターと、実際の人生との区別が付かなくなっていたのでは、
 との分析は非常に重たく響きます。
○Jim Ross : NAPTE Convention Center in Las Vegas
○Jim Ross : Pillman asks J.R. for a meeting
  すんまへん、ヒアリングできなかったです。
○Bill Cunningham : Tribute Show for Brian
  ピルマンの追悼興行の発起人らしい方のコメントですワ。
○Mick Foley : First Match Against Brian
  初めて対戦した時のピルマンの印象をミックが語っております。
○Bad Company Interview
 Calgary Stampede Wrestling 3/26/88
  続いてはカルガリー時代の映像。ミッドナイト・カウボーイズとの決戦
 を前に、ファンから手渡された“バッド・バニー:悪者ウサギ”のお人形
 を手にしてバッド・カンパニー(ピルマンとブルース・ハート)はご機嫌。
○Pillman's XXX Files
 WWF : Monday Night Raw '97
  本編でも触れた、メリーナ(後のテリー、ゴールダストの奥さんに)と
 のハメ撮りビデオもどきの映像集。ホンマ、やる方もやる方なら、放送
 する方も放送する方ですな......。
○The Gun Incident
 WWF : Monday Night Raw 11/4/96
  本編でも触れた、ピルマンの“チャカ”映像をノー・カットで。血走った
 ピルマンの表情を見ていると、とてもやないですが、娯楽番組内の寸
 劇とは思えまへん。一般メディアから叩かれたのも当然でしょうな。
○International Tag Team Championship :
 Bad Company (Bruce Hart & Brian Pillman)
 vs. Midnite Cowboys (Rip Rogers & Kerry Lee Brown)
 Calgary Stampede Wrestling 4/23/88
  88年4月23日のカルガリーはスタンピート・レスリングの映像。4月
 6日にキューバン・アサシン&ロン・スターを下し、晴れてスタンピート・
 レスリング認定のインターナショナル・タッグ王座に就いたピルマンと
 ブルース・ハート、売り物の“Flyin”芸で挑戦者であるリップ・ロジャース
 &ケリー・リー・ブラウンを一蹴や。あ、でもワシの視線はオカマ野郎の
 リップ・ロジャースに終始釘付けでしたワ(苦笑)。
○U.S.Heavyweight Championship :
 Brian Pillman vs. Lex Luger
 WCW : Halloween Havoc 10/28/89
  WCWの『Halloween Havoc 1989』より、レックス・ルガーの保持する
 “NWA認定”のUSヘビー王座に挑んだ際のピルマンの映像を収録。
 得意の“Flyin”芸で何度も“あわや”って場面を作り、最後はルガーに
 上手く押さえ込まれてしまいました。ま、まだまだ“顔”やないってとこ
 ろでしょうかね。
○U.S.Tag Team Championship Tournament :
 Brian Pillman & Tom Zenk
 vs. Fabulous Freebirds (Michael Hayes & Jimmy Garvin)
 National Wrestling Alliance 2/12/90
  ヘイズ&ガーヴィンの“客操作”も楽しいタッグ戦。理由は不明やけ
 どNWAが棚上げした事で長らく空位にあったUSタッグ王座をめぐる
 トーナメントの決勝で、ファビュラス・フリーバーズ(ヘイズ&ガーヴィン)
 を制し、目出度くピルマンとトム・ジンクがベルトを手にしております。
○A Flare for the Old
 WCW : Saturday Night 6/5/93
  本編でも触れましたが、当時WCWの定期放送番組である『Saturda
 y Night』ではリック・フレアーとアーン・アンダーソンがホストを勤めるイ
 ンタビュー・コーナー『Flair For The Gold』(日本国でなら、あの長寿番
 組“徹子の部屋”を想像するとグッド?)ってのがあったらしく、それを
 ハリウッド・ブロンズの両人(ピルマン&オースチン)が悪意をもって猿
 真似。ピルマンが老いたフレアーに扮し、横からオースチンがあれやこ
 れやと突っ込みを(苦笑)。で、これを笑って見てはおれぬとアーン・ア
 ンダーソンがお出まし。オースチンに鉄拳を喰らわしておりまっせ。
○Flyin' Brian :
 WCW : Up Close '95
  WCWの定期放送番組(?)『Up Close』 より。何時になく真面目な
 表情のピルマン、これまでのキャリアを振り返っております。

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